お酒は30歳過ぎてから

お酒はちゃんと20歳過ぎてから飲み始めた。

最初は自宅で家族と共に当時新商品だった「ほろよい もも」を飲んだ。感想は「苦い……」だった。甘いももの味だけでいいのにと思ったし、1本飲み終わらないうちに身体が熱くなり、肩や関節に痛みを感じ、起きてられなくなった。

その数年後、フジファブリックのライブ参加のために遠征した石川県。ライブ終わり、オフ会に参加し、周りがみんなお酒を注文していたので、「わたしも飲まねば」と思い、勇気を出してカシスオレンジを合計2杯飲んだ。数時間後、尿意を感じ「すいませ~ん、トイレ行ってきます」と立ち上がり歩きだすと、なんと感覚が歪む。床が歪む。まっすぐ歩いてるはずなのに壁にぶつかる。時々、視界が真っ白になり、何も見えなくなる。

「あ。これやばいわ」

そして辿り着いたトイレで便器を抱えて、わたしはマーライオンと化した。体調を崩すとすぐ嘔吐してしまうわたしだが、このときほどスムーズな嘔吐はなかった。詰まることなく、息を吐くかの如く吐いた。(非常に汚い。すいません)

その後、口をゆすぎ、何事もなかったように席に戻り、数十分話した後、「明日早いので」とオフ会を後にして、ホテルでダウンした。軽くダウンしたものの、寝る前にちゃんとお風呂も入ったし、テレビつけたら延々とホストやキャバの紹介する謎の深夜番組がやってたことも覚えている。ただ、この体験が内心すごく怖くて、もう二度と味わいたくないと思ったので、そこから30歳すぎるまで、体調が絶対万全で何かあった時介助してくれる人間がいない限りはお酒は控えるようにしていた。どうしても飲みたいなと思った時(美味しそうな銘柄のチューハイ見つけた時など)は、倒れても問題ない自宅で飲むことに決めて生活していた。


そして、転機が訪れたのは30歳すぎたある日。お世話になった上司(前回話した上司とはまた違う人)が退職することになり、その送別会が行われた。

同僚が居酒屋を予約してくれたのだが、なんとその店は生ビールがなかった。店長やビール好きの同僚たちがぼそっと「生、ないのか……」と肩を落とす。とは言いつつ、一次会はそれなりに飲み食いして、飲み足りないメンバーで二軒目行くぞ!という話になった。

「二軒目は絶対に生ビール飲みたい」「あそこなら絶対ビール飲める」という店長の熱い要望で、駅前の居酒屋へ。

二軒目に参加したメンバーはわたし以外「本気(マジ)でビール飲みたくて死にそう」というメンバーで構成されてて、その目はビールに飢え、バッキバキだった。わたしは普通に退職される上司と話したりないし、酔っ払っておかしくなってる人々を観察するのが楽しいのでついてきた場違い野郎である。

場違い野郎であるわたしはちゃんとビールを飲んだことがなかった。両親や妹はビールを好んで飲むため、何度かコップにおすそ分けしてもらったりしたが、それさえ飲みきれないくらいだった。

かといって、このビール強火メンバーについてきてしまったのだから、飲まないという選択はないなと観念した。

人数分注文され、運ばれてくるビールジョッキ。

ジョッキ、でかぁ……。持つとその重さに「おおっ……」と声が漏れる。

「よし! ついにビールだ! 乾杯!」

さっさと乾杯を済ませて、みな飲み始める。わたしもおそるおそる口をつける。

おいしーーーーーーーーーーーー!???!???

めちゃくちゃ美味しかった。

たしかに苦いのに、舌が、脳が「え? なんかおいしいんですけどぉ? ウケる」とギャル化し、ぐびぐび飲んでしまう。

ビール意外に飲めたという驚きと喜びを思わず、その場のメンバーに伝える。

「え!? そうなの!? よかったやん!?」

「仲間入りだ!」

と喜んでもらえた。とはいえ、さすがにここで調子に乗ったらだめだと思い、ビールは1杯だけにし、そのあとはソフトドリンクを飲んだ。


これを機にお酒がおいしく飲めるようになった。

お酒を飲んでも関節の痛みを感じることもなくなり、家の冷蔵庫には必ずビール(マルエフ)が常備されるようになり、クラフトビールのイベントにふらっと一人で行って飲み食いすることも覚えてしまった。

「これが世に訊く舌(味蕾)の劣化というものか」と自分の老いを感じる反面、飲めるドリンクの幅が広がったのが正直嬉しい。

母と妹とご飯行ってもお酒飲んで、感想を言い合えるので楽しさが増えた。


なんでも「あかんなー」と思ってても急に出来るようになるもんなんだなと感じる一件だった。

こんなことを書きながら、わたしはビールを飲んでいるのだった。

星降る夜明けのスワン

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