生きるのがしんどい
2025年3月が終わろうとしている。いやぁ、生きてる心地がしない。
去年の秋ぐらいに自分の中で見て見ぬふりしてたことがついに破裂してしまった。
いろんな要素が複雑に絡み合う最悪の崩壊をして、今もしんどい。
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過去記事にもある通り、約10年前に鬱(のような。あやふやな理由は後述)症状が2回ほど発症し、2回離職した。
1回目は職場でうまくいかない上に、プライベートでは彼氏と揉めていたことで疲れてしまった。
2回目は職場の上司とそりが合わなかった。実際書類を投げつけられたりして、かなり怖い思いをした。
正直、どっちも同世代の友達や同僚に相談するという考えがなく、家族に相談したら「勝手にすれば」という反応だった。もう自分で何とかするしかないと思った結論がそれだった。休職制度というものも知らなかったし、「休職にしたら」という選択肢も教えてもらえず、でも言われたところで「辞めるしかないのだ」と追い込まれていた部分はある。
精神内科にも行ったが、あの日の自分はちゃんと自分の症状をまとめることをしないままで、結局病名はつけられないまま、なんかよくわからない薬をもらい、通院は一度もしなかった。(過去の記事で薬はもらわなかったと書いた気もしたが、おくすり手帳見たら一度だけもらってたよ)
その上、調剤薬局に行くと、「心が疲れてるからとこんな薬をもらいつづけたらだめ」とまで言われ、泣きながら帰った。完全に追い打ち。てか、初対面の調剤薬局の人がそんなこと言う権利なくないか? 今ならそう思えるが……。
だから完全に鬱ですと診断されたわけではない。人に話すときは面倒くさいから「鬱になって」と説明している。
前述のとおり、約10年前は誰にも相談しなかった。したかもしれないけど、「もう辞める心づもり」前提で話しただけかもしれない。
今回は偶然やりとりをしていた友達がいて、話の流れで彼女に話を聞いてもらっていた。その子も昔精神的につらい時期があり、今は回復した子である。でもそれを知ったのは話を進めた先で知ったことだった。
友達に話を聞いてもらえばもらうほど、生まれてこの方「まあ、そういう育ち方したし」とか「こう言われちゃうのはよくあること」と思ってたことが、どうやらちょっとあまり良くないことがわかった。自分が思いのほか歪んだ思考を持ち合わせていた模様。
驚きだった。友達に教えてもらったサイトなどを見ると「え、それってふつうじゃないのか」みたいな。全部全部当てはまることはないけど、心当たりのあることがたくさんあった。
本も読んだ。「心がつらい時に読む本」的な軽めの雑学本とか、自己肯定感をあげるための方法の本など。書いてあることは結構似通ってて、友達のアドバイスでも言われたこともあるものばかりで、でもそれはわたしが今までやったこと・おもったことのない方法だった。実践すると、少しは、破裂直後よりは楽になった。
しかし、まだまだ希死念慮が頭のなかにいる。高層マンションを見ると「ここからなら死ねるかな」みたいなことを考えながら生活してしまう。
本当に2025年元気に年を越せるのか。
夏に文フリ大阪出たかったけど、今のメンタルでは到底無理だろうし。(そのため申し込みはまだしていない)
まだ3カ月しか経ってないのに。何も食べたくないし、何もしたくないし、心から楽しいと満たされない。ただ削れて言ってる感じしかしない。生きる気力がない。一人になりたい。
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