過去に囚われすぎている

わたしは過去に戻れるのであれば戻りたい人間だ。

どこに戻りたいかというと、「大学時代」、20代前半の頃。出来れば一回生からやり直したいので厳密に言うと18歳か。

心の底から戻りたい。

大学の授業もっとちゃんと受けて、勉強しなおしたい。なかなか遊べなかった友達とも遊びたい。

クソ男と三年間付き合ってしまったり、狂うほど好きな人に振り向いてもらえなかった恋愛をやり直したい。クソ元カレと出会うきっかけになってしまったバイト先ではなく、その後骨を埋める覚悟で働いている現職場でいきなり働きたい。

服もいろんなの着たいし、髪形も変えてみたい。

卒業制作を作り直したい。


でも、そんなことはできるはずなく、一方通行で人生は続いていく。

現在がそんなに苦しいのかと訊かれると、わたしの場合は幸せな方なんじゃないだろうか。

性格がねじ曲がってるゆえに自分の中で勝手に結論出して暴走、各所に迷惑かけまくり、それでもそれなりに許されて生きてるし。(もちろん怒られは発生している)


それでも過去への未練、口を開けば「たられば」を唱えてしまう。

結局、どんだけ過去を塗り替えようと奔走しても行きつくところは今と変わりないのかもしれない。

もうずっと悔しい。こんなはずじゃ。


先日、実家から持って来た十年前の日記帳を読み返した。

2013年頭に一世一代の恋が無事散り散りになり、頼りにしていた知人と疎遠になって、仕事で少し昇格し、夏ごろに恋人が出来、迎えた2014年。

日記冒頭から「胃が痛い」の連続で、恋人とも月を経るごとに険悪になってて苦笑い。秋ごろにすべての感情が決壊してしまい、退職や恋人と別れている。病院に通いつつ、新しい職としてゲームのシナリオライターに応募したり、小説の新人賞に応募したりしていた。(全部叶わなかったが)

「文章でご飯食べたい、どうか頼むよ」と何度も走り書きがあった。すまんな、その未来はない。今はあの頃より書けてなくてまた苦しんでる。「東京で働きたい」それもない。もうこの人生では無理だ。「あの人がこちらを向かないだろうか」残念だが、前の日記で書いた通りで、あの人は典型的な幸せを掴んでいる。わたしのほうをみることなどないのだよ。


なんか10年前の自分に胸張って、誇れるような自分になってなくて本当にごめんって感じだった。今の自分を見て絶望するというか「惨めだなぁ」って言うだろう。ごめんなぁ、希望の兆しがまったくなくて。

人生に正しいとか間違ってるとか現在進行形じゃわからないし、そもそもその二択も存在するのかわからない。ただ生きるしかないんだけど、日に日にまたつらさに押しつぶされそうだ。


もっと明るい話したいのにな。まったく浮かばない。明るいものが見えなくなってしまっている。気づいたら目の前がぼやけて、すべて手放したくなって、最後はまた過去へ思いを馳せて、「たられば」を歌う。

あーあメンタル鋼になりたいなぁ~!!!!!!!!!

星降る夜明けのスワン

一次創作サークル「星降る夜明けのスワン」・ホズミロザスケのサイトです。 作品一覧や活動情報などを発信しております。